幼い時に経験した心の叫び

みなさん、こんにちは。

訪問して下さいまして、ありがとうございます。

 

「心」に関わる仕事を始めて、たくさん人生の整理をしてきましたが、

最近またもう一歩シンプルに整理されました。

 

私は両親と姉がいる一家4人の家庭で生まれました。

小学一年生の時にある事件がおきます。

 

父親に誕生日プレゼントをもらって嬉しそうに開けようとする私。

それを見ていた姉は「ねぇ、それ見せて?」と私に話しかけます。

私は一瞬「渡すのはいやだな」って思いながら、姉にその品を渡しました。

そこで事件はおきます。

 

それを見ていた父親が突然姉のことを叱り始めたのです。

「お前、お姉ちゃんだろ。なんでそんなことするんだ!!」

ものすごい剣幕です。

姉も言い返します。「ちょっとみてるだけだけど??」

そうしたら父親がさらに激昂します。

「なんだその言い方は!親に向かって!」

 

記憶を辿る限り、そんなやりとりだったと思います。

 

この喧嘩はどんどんエスカレート。

見かねた母が止めに入ります。

でもなかなか止まりません。とにかく激しい怒鳴りあい。

 

その時の私の気持ちはこんな感じでした。

「あ・・私がもっと気持ちよくプレゼンを渡していればこんなことにはならなかったかもしれない」

「お姉ちゃん、かわいそう」

「どうしよう・・」

 

私は、部屋の片隅で小さくなっていました。

 

母親は粘り強く喧嘩を止めようとしています。

突然、母親は

「2人ともいい加減にしなさい!」

と言って泣き出してしまいます。

泣きながらも止めに入ります。

 

そして・・・喧嘩はとまらず、

母親は家を出て行ってしまいました。

 

私は・・・

「どうしよう。お母さんがいなくなってしまった。

 どうして私も一緒に連れていってくれなかったの?

 お母さんがいないんじゃ、私はもう生きていけない。

 どうしよう・・」

 

私も泣き始めました。

心がどんどん苦しくなって、目の前はまっくら。

 

「私は、みんなに迷惑をかけてしまった。

 大好きな家族をばらばらにしてしまった。

 どうしよう・・・・・」

 

泣き出した私を見て、やっと喧嘩は止まります。

そして、父親は姉に「お前、お母さんを探してこい!」

と言い放ちます。

 

その時、母親は家に帰ってきました。

 

多分私はほっとしたと思います。

この部分は記憶が飛んでいてはっきり覚えていません。

 

でも、何かここでスイッチが入ったのです。

 

「私は、もう表現はしない」という諦め。

「結局、私は一人ぼっち」という孤独感と不安感。

 

 

父親の立場に立ってみれば、私のことを守ってくれたのかもしれない。

姉の立場になってみれば、無邪気に妹のプレゼントを見せてって言っただけ。

母親の立場になってみれば、ちょっと頭を冷やしたかっただけ。

 

でもこの事件で入ったスイッチは今後の私の人生に大きな影響を及ぼします。

 

中学生になっても、高校生になっても、社会人になっても・・・

ずっと繰り返す諦めと孤独感・不安感。

 

全てが分かった今は誰が悪いわけでもないことがよくわかります。

それどころが、この事件が「愛」であったと知ることが出来ました。

でもそこに辿り着くまで、どんなに苦しんだか。

 

不安と絶望と孤独感に。

 

普段出てくる、考え、感情、言葉、行動の背景にはいつも

「私は受け入れてもらえるだろうか」

この質問がいつも無意識に繰り返すことになります。

だから、友達を会話するにしてもいちいち

自分が表現するたびに「私は受け入れてもらえるだろうか?」

という疑問とともにいつも不安でした。

 

そして、逆に純粋な願望も生まれました。

「ただただ、純粋に人と仲良くしたい」

 

それが質問になります。

「なんで、人間は仲良くすることができないの?」

 

明日は、このパターンが繰り返す日常について

もう少し書いてみたいと思います。

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