幼い時に経験した心の叫び ~その後~

みなさん、こんにちは。

訪問して下さいまして、ありがとうございます。

 

昨日は、幼い頃に家庭内で起きた事件がきっかけに

私の心が叫んだ諦めと孤独感、絶望感について書きました。

 

普段出てくる、考え、感情、言葉、行動の背景にはいつも

「私は受け入れてもらえるだろうか」

この質問がいつも無意識に繰り返すことになります。

 

いつも繰り返すこのパターンはなんせ無意識ですから本人は全く気が付きません。

 

どんなに笑顔をしていても、心の奥では「私は受け入れてもらえるのだろうか?」

どんなにほめられても、心の奥では「私はこれで受け入れてもらえるのだろうか?」

どんなに「愛している」って伝えられても、心の奥では「私は本当に受け入れてもらえるのだろうか?」

 

という不安がありました。

 

いつもいつも「受け入れてもらえない私」が存在するのです。

どうしてもここに戻るのです。

 

だから「どうやったら受け入れてもらえるだろうか?」という基準で

物事を選択していくことになります。

 

例えば、進学するのか就職するのかという岐路に立った時期でも

もちろん自分の人生を真剣に考えてはいるつもりだけど、

結局、選択の基準が「どっちの道をとった方が多くの人に受け入れてもらえるかな?」なのです。

 

また、就職してからも

「一生懸命に仕事をした方が受け入れてもらえるかも」

「この上司にはちゃんと返事をした方が受けれてもらいやすい」

「きちんとした格好をした方が周りから受け入れてもらいやすい」

などなど、きりがありません。

 

当時はそんな基準が自分の中にあったとは夢にも思っていません。

自分の個性を大事に表現していたつもりですが、

環境で作られたこのパターンの中で表現していたにすぎなかったのです。

 

そして、30代後半になって・・・いよいよおかしくなります。

自分が何を本当に考えているのか、どう感じているのかが分からない。

 

言葉が出なくなったのです。

そして笑顔もできなくなりました。

 

あまりにも周りの目を気にしてきた結果起こったことでした。

 

私は心身ともにバランスを崩すことになります。

でもどんなに苦しくてもこの基準は崩れません。

 

どうやったら、私は受け入れてもらえるの?

どうやったら、みんなと本当に仲良くなれるの?

 

さすがに、私はおかしいと思い始めました。

逆をいえば、この時まで気づかなかったのです。

 

そして、自分を変える必要がある!と思って自己開発の追及に走りだします。

 

でもこの時もあれです。

「自分が変わったら受け入れてもらえるかもしれない!」

 

その期待があったのです(笑)

 

心理学講座にいったり、

セッションをたくさん受けたり、

右脳開発をたくさんしたり、

スピリチュアルの世界をとことん追究したり

瞑想をとことんしたり、

とにかく祈ったり、

 

いろいろやりました。

 

それぞれ効果はありました。楽しかったですよ。

しばらくの間は・・・

 

でも答えがみつからなかったんです。

いつまで私はやればいいのかしら・・

終わりってあるのかな・・

 

これをずっとやっていくのは違うと思う・・

何かが違う・・

 

もう疲れたな~。

 

変わろうとしても変われない。

やっぱり私はダメなんだ。

 

結局、今の人生を死ぬまで続けるしかないのかなぁ。

あ~、なんで生まれてきたんだろう。

つまらないなぁ。

 

死んだほうがましじゃない?

この苦しさが続くくらいなら。

 

そんなことを心の中でつぶやく日々になっていきました。

 

こんなに頑張ってるのに変われない!

怒りも出てきます。

 

そして、疑問にぶち当たります。

 

私は何をしに生まれてきたの?

この現実っていったいなんなの?

 

 

その疑問をもちつつ、自分を変えようとするエネルギーは

収まらず突き進みました。

 

そして、この疑問をすべて解決してくれる

まったく新しい出会いがあったのです。

 

この続きは明日書きたいと思います。

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