戦争の記憶① 〜 日本人が今、向き合うべきこと〜

訪問してくださいまして、

ありがとうございます。

 

今年も早7ヶ月が過ぎようとしています。

東京は、蒸し暑い毎日が続いています。

皆さんがお住まいの地域はいかがでしょうか。

 

さて、毎年8月になると思い出すこと。

私にとってそれは、広島、長崎に投下された原爆。

そして、終戦のことです。

 

私の父は長崎で生まれ育ちました。

祖父は、長崎市内で実際に被爆し、

祖母や父は、原爆が投下された後、

祖父の行方を捜しに長崎市内に入ったことで

間接被爆をしています。

 

そんな背景もあり、

子供の頃から原爆や戦争について

考えることが多かったのです。

 

祖父母は生前、戦争のこと、そして原爆の体験を

話すことはほとんどありませんでした。

 

そして、父は3歳の時に終戦を迎えていますので

ほとんど当時のことは覚えていないようです。

 

ただ、父が3歳で、

あの原爆の経験をしているということは、

その後、父の性格に大きな影響を及ぼしたと

思って間違いありません。

 

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父を見ていると、昔から

不思議に思うことがありました。

 

それは、

父は、音や振動にとても敏感で怖がるのです。

 

例えば、扉が風にあおられて、

「バタン」と大きな音を立てて閉まることって

ありますよね。

 

または、お茶などの食器が何かにぶつかって

「がちゃん」という音を立てることって

あるじゃないですか。

 

そんなとき父は、

尋常ではないくらいびっくりして

瞬間的に怒り出すのです。

 

「なんの音だーー!」

「何やってんだー!」

 

そしてもう2度とそんな音が出ないように、

ドアに緩衝材を巻いたり、家族に注意を

促したり、怒鳴ったりします。

 

子供の頃の私は、そんな父の言動を見て、

手が滑ってお茶碗が落としただけなのに、

(そんなに大きな音は出てないのに・・)

「なんでこんなに怒られなきゃいけないの??

わけわかんない。」と思ってました。

 

でも、幼い時に経験した原爆の体験が

3歳の父には、大きすぎる恐怖と不安を

与えているのだと思うと、

父の行動全てに合点がいきます。

 

そして、父のDNAを引き継いで生まれている

私も、同じように、

音に対して敏感だったり、

大きな音に対して異常に恐怖を感じたり、

何かしら影響を受け継いているような気がします。

 

ということは、日本人であれば誰もが

今も、あの戦争の影響を受けて

生きている、ということです。

 

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夏になると、

戦争のドキュメンタリーやドラマが

多く放映されますね。

 

先の大戦が、

日本人の心にどんな影響を残したのか

 

ということを考えることは

とてもとても重要なことだと感じています。

 

戦争は、加害者・被害者で分けて、

争い・憎しみ合うことが今も多いですが、

日本が本当にしなければならないことは、

 

あの戦争が、

日本人の心にどんな影響を残したのか

 

ということを

正しく理解することから始まると思います。

 

この続きは、

次回のブログに書きたいと思います。

 

 

最後までブログを読んでくださいまして、

ありがとうございました。

 

 

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